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『太閤記』から『関ケ原』続けて読んでます。

ゴールデンウィーク明けに書いた こちらの記事。

2017年5月14日投稿)若き日の秀吉の仕事量!マジすげーーっ(^^♪

千葉の嫁さん実家に行った際に、義父さんの膨大な書庫の中から、司馬遼太郎さんの『太閤記』を借りて読んだら、これが面白くて面白くて、、、という話だったのですが

実は、その時、同じく司馬さんの『関ケ原』もお借りしてたんです。

『太閤記』から『関ケ原』続けて読んでます。

『太閤記』上下巻

『関ケ原』上中下巻

・・・結構なページ量です。。。(^-^;

風呂に入った時だったり、眠る前だったり、時間を見つけて、ちょっとずつ読んで

今、『関ケ原』中巻の194ページ。

徳川家康が上杉討伐のために伏見を離れ、その隙をついて石田光成が兵をあげる!

だけど、それ自体が

「天下分け目の戦を石田軍に起こさせて、それに勝てば自分が天下人になれる」と

家康が仕組んだ罠で。。。。

という局面です。

 

読んで思うのが、豊臣秀吉という人の面白さ です。

前回のブログには、「秀吉が自分を拾い育ててくれた織田信長に抱いていた感情がスゴイ」と書きました。

例えば、こんな感じ。

「自分はプロの奉公人である。」

「依頼主(殿)に損を与えないことが自分の努めであり誇りである。」

自分が戦の働きで1000石の加賞を受けたら、殿の財が1000石が損失したことになる

→1000石を使って次は2000石分を稼いで殿に返さねばならない。

 

普通は「今回の仕事の褒美として、〇〇国の殿さまにしてください」という発想になるところを

「領土も城も別にいらんから次の仕事をください!もっと稼がせてください!」という発想

 

『太閤記』は部下としてのいわば“修業時代”の秀吉の物語だったのですが

今、読んでる『関ケ原』は、太閤にまで上り詰めた秀吉が、亡くなったその後の豊臣家とその周囲の話です。

ここで司馬さんが描いているのは、自身が信長に徹底的に奉公したのと同様に、加藤清正や福島正則といった自分が拾い育てた武将たちから、死後も圧倒的な恩義と忠誠をそそがれている秀吉の存在です。(むろん、石田三成もその一人)

「秀吉に恩義は感じるが、その下でうまくやりやがった光成は許せん!」と考える人間の気持ちをうまく掬って、徳川家康がどんどん勢力を増していくわけですが、秀吉に対する不満というのは、旧豊臣方の武将からは、まったく挙がっていません。(というふうに司馬さんは描いてます)

 

この前読んだ新聞記事で塩野七生さんが

本能寺の変の後、備中高松城で毛利軍との攻防の最中、信長の死を知り急遽講和をまとめ、誰より早く京に引き返して明智光秀を討った(中国大返し)のは、結局のところ、秀吉という男が、、、信長のことを好きで好きで仕方なくて、、、カタキを討ちたい一心で反射的に「そんなの そうするに決まってるじゃん」と取った行動なんじゃないでしょうか。

と書かれていました。

 

書き始めの意図からズレて、また長い文章になってしまってるので、もう止めますが。。。

なんか、、、秀吉ってイイですよね。


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