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甲子園最強打者伝説。といえばこの人。

久しぶりに、、、、と言い訳しつつ、仕事に全然、関係のない話を書かせてください。

今日、甲子園の決勝だったから!というわけでもないのですが、

この前、買って読んだ雑誌『ナンバー』。「甲子園最強打者伝説。」というタイトルで、清原選手を特集した号が、すごく面白かった(興味深かった)んです。

覚せい剤の問題で“名声を失った”“地に落ちてしまった”清原選手を、敢えて取り上げたナンバー編集部。

部外者ながらに、いろんな覚悟や思い入れがあったんだろうと思います。

 

しかも、記事のコンセプトは、「13本のホームラン物語」

打たれたライバル全員が語る。48歳の清原和博に捧ぐ、夏の追悼ノンフィクション。

 

KKコンビの衝撃デビューとなった高1夏大会の決勝戦!(この言い方が既に「ドカベン」みたいですもんね。いやぁ桑田・清原はスゴイです^^♪) 清原の甲子園第一号ホームランを打たれた横浜商業の三浦投手への取材から記事は始まります。

卒業後、ドラフト3位で中日ドラゴンズに指名された三浦投手も、結局、プロでは一勝もできず、現在はスポーツ用品店に勤務しながら、少年野球チームで指導をされているそうです。

プロに進んだピッチャーもいますが、そういう人ばかりじゃありません。

大学まで野球をした人。社会人野球まで続けた人。高校卒業後は野球を辞めて料理人になった人。

格の違いを見せつけられるようなホームランを打たれて、「記憶を封印するしかなかった」という北海道のチームのピッチャーは、高校卒業後、野球を辞めて、地元のコンクリート会社に就職されていました。

「清原が打てば打つほど、あの映像が繰り返し流されて、話題にされて・・・」

「PLとやったの?と言われるたびに、みっともないところをお見せしてしまって、、、というしかなくて」

そう言っていた彼も、自分の子供がバットとグラブを持つようになって

「お父さん、清原と対戦したんでしょ?どんなバッターだった?」と聞かれると

「すごかったよ。ケタが外れてた。」と素直に誇らしい気持ちで話せるようになって、、、

と打たれた皆が、そんな気持ちで 清原との対戦を振り返っていました。

 

私自身のことを考えても、何かにつけて「自分の評価軸の基準」のように(いつの間にか)位置づけている友達や先輩がいますが、たぶん、それと同じように、彼らの中では「清原はどう思うかな?」というような判断基準が、高校時代の対戦以降、ずっと10年も20年も、カラダに染みついているんだろうな!ということが想像できます。

 

甲子園最強打者伝説。といえばこの人。

この写真は記事の一部です。高3春の大会一回戦で清原の甲子園通算8本目のホームランを打たれた浜崎さんの記事。

卒業後、JR東日本で社会人野球を続けた浜崎さんは、「42年会」という会合を主催されているそうです。

名前からすると、清原選手と同期の野球人が集まる会合です。

「僕はいつか、清原に来てほしいんです。有名人だから難しい部分はあると思う。でも、様々な人が、みんな野球で繋がっている。社会で困った時に助け合えるんです。」

この記事のテーマ(編集者の意思)は、この言葉にあるように思いました。

逆風が吹いてる!どころじゃない現状の清原選手について、あえて、こういうスタンスで特集を組んだナンバー編集部。もちろん、清原さんのしてきたことの是非を考えれば、叩かれてもしかたない判断かもしれません。

ですが、正直、面白かったです。お金を払って読む価値のある記事でした。

 

このブログを読んでいただけている可能性のある方の中にも、何人か、高校野球経験者がいらっしゃいます。ぼくは中学野球でやめてしまった人間ですが、ある種、独特な世界である「高校野球経験者」の人の話を聞くのが、大好きです。また機会あったら、お話し聞かせてくださいね(^.^)

 


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